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SS/柚原 テイル

 まどろみに包まれて、眠りにつく。
 …………。
 久しぶりの懐かしい、ふわふわの空間。
 ただいつもと少し違うのは、目をゆっくり開けると溢れんばかりの緑の木々と、青い空が広がっていたこと――――
 普段見る夢は桃色で、取り留めのない場所なのに。

「ん……っ」

 鼻先を緑の匂いが掠め、私は目をしっかりと開けた。

「……えっ? ここ、どこ……?」

 絵画から抜き出てきたような美しい森。
 その中央、柔らかく長い毛皮に包まれて、私は眠っていたようだ。
 とても気持ちいい……。

「んだよー、もぞもぞ動くな。くすぐったい」
「ええっ!?」

 毛皮が喋った!?
 私を包む毛皮はよく見ると虎の模様で、マントみたいに郁人が羽織っていた。
 どうやら、それを抱きしめて眠っていたみたいで、私は慌てて離れる。

「な、何!? 郁人っ!」
「はぁ? 誰だそれ? つーか、勝手に動くな、逃げるなよ」

 毛皮が私に絡みつく。それはとても心地良い温もりだったけど、苦しいぐらいに巻きついて郁人と私の距離を再び近くする。

「だ、誰……って、郁人……でしょ、ち、近い! 顔近い!!」

 郁人のさらさらの前髪がおでこに触れ、私は暴れた。
 けれど、横を向くことぐらいしか抵抗できない。

「近くねーよ。あんたが気持ち良さそうに寝てるから、襲う機会を何度も逃してるだけで……ああ、もー我慢できねー」
「えっ? ひゃっ……!」

 郁人が大きく口を開けたかと思ったら、彼の左右の牙が光った。八重歯なんか郁人になかった気がする――――じゃなくて、噛まれる! もとい食べられる!
 私は郁人の顎をぐいっと両手で押しのけた。同時に絡まる毛皮が離れて肌寒くなる。

「うわぁ! ふ、服……ネグリジェだけ!?」

 確かに寝てたままの記憶だけど、こんな格好で私……!?
 ネグリジェ姿でどうして森にいるの!

「なっ、逃げんなよ! あんたはここで寝てろ」
「襲われそうな場所で寝れるわけないでしょ!」
「ちょっ……おいっ! 待て、オレはこの森の番人で、一番安全な場所っつーか、百獣の王――――」
「百獣の王は虎じゃなくてライオンだからっ!」

 郁人の制止を振りきり、森の奥へと逃げ込む。
 意外と体は軽くて、あっさり逃げ延びることができた。郁人が追いかけてこないのを何度も振り返り確認して、私は、木立の合間、光が零れる木々の間を息を潜めて歩く。

「……ふぅ、危なかった。でも…………一番安全とか、郁人が言ってたような……」

 気のせいだよね……?
 森に不穏な気配はない。
 そうしているうちに湖が見えて、私は体を休めることにした。
 足だけでも水に浸そうと泉に片足を入れたその時――――

「きゃあああーーーーっ!」

 泉の深くに沈殿していた藻の様な植物が突然伸びてきて、私を足から引きずり込む。

「が……ぶ……ぐっ……!」

 あっという間に水中だった。
 藻はゆらゆらと広がる髪の毛にまでしっかりと絡み付いてくる。

「たすけ……うっ……」

 息が続かない!
 口からこぼりと空気の泡が出た。もう限界……誰か……!

「……っつ!!」

 気を失いそうになった瞬間、何かが私のネグリジェの襟首に絡んだ。
 藻より強い力でひっかかり引かれる感覚。
 水の流れが勢いよく頬に当たる、引かれた先は空中だった。
 バッシャーンと大きな水音を立てて、私は藻ごと魚のように吊り上げられたみたいで―――

「うっ……げほっ……けほ……」

 とりあえず呼吸ができることに胸を撫で下ろしつつ、襟首に引っかかったままの釣り針に引かれるように水際へと漂う。
 釣竿を持ち、リールを操る釣り主は、深く帽子を被り長い髪をしていた。

「あ、危ないところをありがとうございます……」
「これはこれは、素敵な魚ですね。僕のマーメイドでしょうか」
「えっ? は、蓮井さん!?」

 聞き覚えのある声に抱き上げられ、私は水から陸へとへたりこんだ。

「僕はただの旅人ですよ。ああ、藻が絡み付いていますね、カットして差し上げましょう」
「は、はぁ……どうも……」

 蓮井さんの手がいつの間にか鋏を持ち、丁寧に藻を切り落としてくれる。
 ほっとするような感覚、優しく上品な鋏の音が響く。
 シャキン――――

「へっ?」

 今、髪じゃなくて、胸のほうから音がしたような……?
 私は慌てて胸元を見た。
 水に濡れて透けているネグリジェも恥ずかしかったけど、明らかにたった今……鋏で切ったように服が切れている場所がある。

「な、なっ!」

 シャキン――――
 また、ついでのように……髪を切るのとは一段違う音がして、ネグリジェの胸元が切れて露になった。

「失礼、手が滑ってしまったようです」
「て、手が滑るって……! そんなわけ……なっ、やっ……!」

 シャキン――――シャキン!
 蓮井さんの手は容赦なく私の服を剥ぎにかかっている。
 涼やかな顔をして、笑みを浮かべたまま、彼はカットし続けていた。

「も、もう結構ですから! 助けてくれてありがとうございます!」

 私は胸元を押さえて、その場から逃げ出した。



 ……! な、何……この世界は!?
 おかしな人だらけ!

 湖の脇の道を走り抜けると、粘土質の土が多い茶色の台地に出た。
 出口……は、どこだろう。もしくは安全な場所。
 私は注意深く辺りを見回しつつ、岩陰を渡り歩いた。

「…………な、なんか……」

 さっきから視線を感じる。
 振り返っても誰もいないけれど……嫌な予感がする。
 石が幾つも立ち並ぶとはいえ、大地は見通しがいい。これならば森のほうが隠れ易いかもしれない。湖とは違う方向へ逃げれば……!
 私が踵を返そうとしたその時。
 ビュオ! と、ものすごい音がしてビーンと震えるように何かが私のネクリジェを粘土質の岩に縫い留めた。

「っ! は、はぁっ!? 槍!?」

 それは、長い槍で……岩の上から日の光を背負って誰かが顔を出す。
 あと一瞬ずれていたら刺さっていたかもしれない。

「やーっと声掛けれた~、おねーさん足速いんだもん。オマケに用心深いし」

 人懐っこい笑みは、透央だった。声掛けたんじゃなくて……槍投げたの間違いでは……? と、思ったけれど、彼のあまりに無邪気な顔に、怒りが失せる。

「ゆ、透央……危ないよ……」
「ナンパには危険がつきものだけど? お前も危ないの、味わってみる?」
「な、なななっ!」

 身軽に岩から飛び降り、透央が槍にさらに手を掛けて、私を岩に押し付けるように逃げ道を塞ぐ。

「逃げんなよ」
「に、逃げるっ!」
「ぐぉっ!?」

 私は反射的に透央の股間を蹴り上げていた。
 彼がうずくまった隙に、森へと身を翻す。槍が刺さった箇所の布が破れる音がしたけれど気にしている余裕もない。
 湖の逆側の森へは二本の小道がつながっていた。
 直感で左に駆け込む、途端に足を何かに挟まれて私は転んだ。

「っ……うっ!」

 キツネ捕りの罠みたいな鉄のギザギサにがっちりと私の足は挟まっていた。
 不思議と痛みはない、ただ、痺れがあるだけで……。

「ああ、かかったな。不器用な俺は左右どちらの道にもこいつをしかけさせてもらった」
「ど、どっちにもって……ずる……ひゃっ!」

 罠の先の鎖を誰かが引く。声の主は紺野先生だった。

「せ、先生……今ちょっと……急いで逃げていて……あの、足のコレ……はずして――――」
「はずす時は食す時だが? さて、どうやって食べよう」
「せ、先生まで……おかしく……じ、じゃあ……はずさなくていいです……! このまま失礼しますから……!」
「まあいい、じきに全身へ痺れが回るだろう」

 私は足枷のように鎖をつけたままその場を走り抜ける。
 すんなりと先生は鎖の端を離してくれて、引きずるようにして森の奥へと進む。
 日常のデジャヴみたいな知らない世界。
 顔は知っているのに、中身は知らない住人。

「誰か! 誰か……助けて! 夢なら起こして!」

 伸びた下草を掻き分けるようにして、がむしゃらに駆ける。
 悪い夢なら早く覚めて欲しいし、現実なら滅茶苦茶な世界だ。

「誰か、誰か――――わっ、えっ?」

 何か枝のようなものを踏んだ拍子に、ふわりと体が宙に浮いた……? と――思ったら落ちて――――

「きゃあああーーーっ!」

 バキバキっと細い枝がいくつも折れる音がする。
 落とし穴だ!
 慌てて身を起こすも、穴の中にあるゲル状の何かに囚われて動けない。

「ひゃっ……な、に……気持ち悪い……ゼリー……?」

 蛍光色のピンクのような色のそれに触れている場所から、じわじわとネグリジェが溶けていく。

「や、やだ……!」
「あらあら、迂闊に動かない方がいいわよ。ニョルちゃんのゴキゲン損ねちゃうから」
「こ、琴子!?」

 落とし穴の上から見知った二人の顔が覗く、琴子と小峰くんだ。

「そいつ、最近メシ食ってないらしいぜー」
「ええっ! やっ、嘘……琴子、やめてよ、小峰くんも止めて……」
「安心なさい。ニョルちゃんの好物は服だけ。あと穴という穴に潜りたがるだけ~」
「ええーーっ!? や、やだっ!」
「あら、おませさん。今、どこの穴を想像したのかな?」
「し、してない! 想像してないから助けて!」
「今、貴方の観察で忙しいから」
「おれも~、記録と穴掘り当番だし」

 観察の姿勢で座り込む二人の後ろに、新たに人影が現れる。

「どうやら、動けないようだな。さあ、こっちに来い」

 紺野先生が顔を出し、私の足の鎖を引くと片足が持ち上がった。

「おおー、いい格好。色っぺ~」

 透央が槍を片手に穴へと飛び降りてくる。

「野蛮な行為はやめなさい。僕があなたを助けてあげましょう、その代わり、永久なる誓いを立てて下さい」

 透央の襟首を蓮井さんが釣竿で吊り上げて、優しく私に微笑みかけてきた。

「と、永久なる誓い……?」

 助けてくれるみたいだけど、危険な感じがする。

「はいはい、あんたらそこまで! ここはオレのテリトリー、つーわけで、こいつはオレのもん」

 郁人が穴へ飛び降りてきて、私を抱きかかえた。

「ちょっ……い、郁人……みんな見てる、は、離して!」
「助かりたいんだろ? オレにしとけよ」
「で、でも……」

 郁人の毛皮が頬に当たる。
 それは懐かしくて優しい温もりだった。

「な? オレに…………」
「おいおい、一人だけずりーよ!」
「わたしのペットのニョルちゃんを足蹴にするなんて! おまけに新しいペットを横取り? 許せない……」

 小峰くんと琴子が穴へ飛び降りてくる。
 もう、満員状態で息が苦しい……のに……。
 さらに――――

「愛しい人、今助けます!」
「君は俺といる方がいい」
「俺との相性が一番だっての!」

 蓮井さんと先生と透央まで入ってきて、身動きできない上に酸欠だ。

「うっ……苦し……やめ…………うー……」
「オレにしとけって――」

 気が遠くなる瞬間。郁人の声が、妙にクリアに聞こえた気がした。

■  ■  ■


「はっ――――!?」

 私はベッドから飛び起きた。
 慣れ親しんだ自分の部屋、どうやら夢のようだ。

「はぁ……夢、よかった…………って、い、郁人! どうして、勝手に部屋に入ってくるの!」

 ベッドサイドには、郁人が怪訝そうな顔で立っている。

「べ、別に勝手に入ったわけじゃねーよ! メシだって十回ぐらい声かけて、ノックして、姉貴がうんうん唸ってたから、起こそうと思った時に、あんたが勝手に飛び起きたんだっつーの」
「そ、そう……ごめん、ありがと……」

 確かに騒がしい夢だった。
 もみくちゃにされて、酸欠で…………あれ?
 妙にリアルな感覚が体に残っている。

「……ね、ねぇ……郁人? 寝てる間に……何か悪戯した?」
「バッ! し、してねーよっ!! ありえねーから、さっさと着替えて朝飯!」
「う、うん!」

 ボケボケしながら、着替えてリビングへ行くと、そこには――――

「わあっ! 朝からごちそう……!? 綺麗……」

 いつものトーストはカラフルで種類たっぷりなスコーンに変わっていて。
 野菜サラダはカクテルサラダとスティックにソースがけで。
 それから、それから……。
 テーブルの上には、所狭しと豪華な朝食が並んでいた。
 デザートには飾り切りしたフルーツ盛りにケーキまである。

「郁人……何かのお祝い?」
「はぁ? 姉貴、もう忘れてんのかよ、まーいいけど。座れば」
「う、うん……あれ? 席の横に箱……?」
「それ、あんたにプレゼントだって。しかも今日渡せって、全員……過保護だよな~」
「プレゼント? で、でも……誕生日とかじゃ……あっ、琴子から、蓮井さんも……透央に、先生に小峰くんからも……? 嬉しいけど……どうして?」
「はぁー、まだわかんねーかな。いいから、食えば」
「う、うん……」

 レストランみたいに並べられた端のフォークを言われるままに手に取った。
 その時、郁人ができたてのオムレツを私の前に置く。
 目に飛び込んできた、表面にケチャップで書かれているマークは花とハートのついた二重丸だった。

「え、えっと……?」
「はぁ~、まだ気付かないのかよ。よくできましたのマーク、みたいなもん。あんた、引き篭もってた時から一年経ってんの」
「あっ!?」
「姉貴の場合、おめでとうでいいんじゃねーの?」
「う、うん……うん……!」

 忘れてた――――
 私が一歩踏み出してから、一年目の記念日。

「ありがとう――」

 噛み締めるようにして食べたオムレツは、口の中に甘く優しく広がった。

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